浅川の流れの前に多摩川のせせらぎを背に聞く、多摩八十八ヶ所第86番札所・日野七福神めぐり(福禄寿)、高幡不動尊金剛寺末寺、真言宗智山派の寺院である。
当山は今から640年余年前(南北朝時代)康安元年(1361)6月22日大雪が降り多くの人が餓死したので時の国司が天下泰平国家安穏を祈願する為開山堂を建てさせた。吉祥坊慶誉がこの堂守となり、これが開基で時に貞治3年(1364)である。
17年後永和3年(1377)にいったん廃寺となったが、百数十年を経た天文13年(1544)7月9日に船を浮かべるような大水が陸地にあふれ立川の普済寺と向いの日野の間に十一面観音を祭った光堂から流れ来てこの地に漂着、これにより観音堂を建立「北向観音」と呼ばれ大いに信仰を受けた。
その後、文禄2年(1593)慶心沙門が観音堂とは別に中絶した本堂を再建して石田寺(せきでんじ)と名づけられた。之を中興開山と称する。
徳川時代には、御朱印に依り高7石が寄せられていた。寺宝としては元享2年(1322)から宝徳3年(1451)の板碑を多く所蔵し、境内には樹齢400年以上の「かやの木」その脇には新選組副長土方歳三の墓があり、また近くに生家(歳三資料館)がある。
旧本堂
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